バルト9でタイタニック(3D)を観た。
平日深夜の新宿の劇場は、
予想以上にがらんとしており、僕を含めて5人程度の観客しか居なかった。
本作が公開された当時は、
ただの甘ったるいラブストーリーだと勘ぐっていて、
視聴機会を逸していたので、
実に、公開から14年が経って、初めて観ることになった。
描かれているのは、ケイトウィンスレット扮するローズから観た、
彼女の人生で最もドラマチックで、自身の人生の岐路となった、6日間の出来事。
人間の弱さと強さと驕りと尊厳、それら全てを乗せたタイタニック。
その巨大客船が見舞われた未曾有の事故の中で、
ジャックと出会いをきっかけにして、
自分と自分を取り巻まく環境を変え、力強く生きることを定めるローズ。
紛れも無い名作でした。
2012年5月18日金曜日
2012年5月12日土曜日
決意と実行の狭間
最近よく思っていることとリンクしたので、引用しておく。
「五羽のカモメが防波堤にとまっている。そのうちの一羽が飛び立つことを決意した。「こうしたい」「こうしよう」と思うことは、誰にでも出来るのだけれど、
残っているのは何羽だい?」
「四羽です」
「そうじゃない。五羽だよ。飛び立とうと決意することと、実際に飛び立つことはまったく別物だからね」
「いいかね? 誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだよ。
そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。
残りのカモメとどこも違わない。
人間だって同じだよ。何かをしようと決意した人と、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。
しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
『希望をはこぶ人』 (アンディ・アンドルーズ 著/ダイヤモンド社) より
参照ブログ
それを実行に移すことは、わりと難しい。
ただ残念ながら、実行を伴わない意志は、願望の延長でしかなく、
それ自体が価値を生み出すことは適わない。
きっかけやタイミングを見計らうことも、時には大切だけれど
殆どの場合、意志を実行に変えるときに必要なのは、
極現実的な力強さだ。
「意志という抽象の世界」から「実行という具体の世界」へ、
その境を越えた瞬間に、はじめて「0」が「1」になる。
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