2013年1月21日月曜日
オーナーシップ
お笑いのオーディション番組なんかで、司会者が、
「次のスターは、君かもしれない!」などと叫んで、
テレビのこっち側を指差す場面があります。
(中略)
「次のスターは君だ」と指差されているのは、
ほんとうに「ぼく」「おれ」「わたし」なのだ。
その指の先で身震いした人間が、その人なんですよね。
じぶんのこととして指先の爪の垢を見たものの勝ち。
その感覚を持ってる人が、なにかを変えるのです。
(中略)
リーダーシップって、「あ、おれか」という意味じゃない?
ほぼ日刊イトイ新聞 1/21 今日のダーリン
今日、オーナーシップについて指摘されることがあった。
「それは、誰がやるの?(君でしょう?)」
発言のスタンスがあいまいで、オーナーシップが感じられない、という内容だ。
7年間、広告代理店の営業組織に属しており、
顧客を説得して、最終的には相手に意思決定してもらうことが常だった。
そのため、相手の思考や感情を読み取って、
“相手に合わせて” 論理を構成する癖がついてしまっている。
そうじゃない。
いまは事業の責任者として、常にまず自分がどうしたいか。
常に主語は自分。
自戒と備忘録として。
2013年1月5日土曜日
最近の素敵な言葉たち(Word of wisdom)
最近読んだ、漫画の一節より・・・
自分の選んだ大切なものと生きる
大切なものだらけの人生だから
大切に生きられる
水口めい/マンガ 内藤未映/原案
『失恋したのでベリーダンスをはじめてみました』
人生を大切に生きるためのメソッドがこの短い文章に凝縮されている。
大切なもの、大切な人を自分の周りに集めていく。
それは、仕事かも知れないし、音楽かも知れないし、
もしかしたら、小さな置物かも知れないけれど、
自分で選んだ大切なものに囲まれている人生ならば、誰もが大切に思えるよなあ。
最近読んだ本に引用されていた歌詞の一節より・・・
喜びを他の誰かとわかりあう
それだけがこの世を中を熱くする
小沢健二
痛快ウキウキ通り 』
些細な感情でも、それが分かりあえるだけで、なんで嬉しくなるんだろう。
誰かと思いを共有したい、誰かと言葉にならない想いをシェアしたい。
壮大な風景も、涙が流れるような美しい旋律も、
趣向を凝らした料理や、くだらない笑い話も、
隣で、誰かが同じ思いを共有しているだけで、漠とした感情がより強くなる。
きっと、それが人間の弱さでもあり強さでもあるんだろう。
雑誌 COURRIER JAPON 2月号より・・・
子供の頃、食卓に座ると父に
「今週はどんな失敗をしたの?」と聞かれたものです。
学校の劇のオーディションに落ちたと報告すれば、
父と私はハイタッチを交わす。
父はいつも「失敗しなさい」と言っていました。
失敗すれば次こそ素晴らしいことが起きる、と。
サラ・ブレイクリー(スパンクス創業者)
「失敗が大事だ」と、よく聞く言葉だれど、
それを行動に昇華して、意識的に日の目を当てさせ、称賛してあげる。
なんて素敵な父親だろう。
失敗を楽しめるようになったら、人生は楽しいことだらけだ。
2013年1月1日火曜日
映画 『東京物語』
新年早々、Huluで映画を観た (以下ネタバレあり)
小津安二郎監督 『東京物語』 1953年 / Hulu
老夫婦が息子・娘夫婦の元に上京する小旅行を通して、
家族の関係性の喪失と人間の孤独について描いた作品。
舞台は1953年。戦後から10年も経っていない時代の話ゆえ、
家族の結びつきはもっと強いものかと思い込んでいたけれど、
『東京物語』で描かれた家族は、時に残酷なまでに他人行儀で、自己中心的。
あくまで自分の生活が中心であり、それが原則となっている。
だがそこに悪意はない。
その冷淡な描写は、それが家族なのだという意図が見え隠れしている。
この映画が撮られてから、60年が経った今、
高齢化、核家族や共働きが進み、家族の有り様は大きく変わり、
その関係性はより希薄になった。
正月という時期も重なり、
親戚・家族・兄弟という共同体の意味はどこにあるのか、
ふと考えてしまう。
京子「でも,ずいぶん勝手よ。言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまうんですもの。」
(中略)
小津安二郎監督 『東京物語』 1953年 / Hulu
老夫婦が息子・娘夫婦の元に上京する小旅行を通して、
家族の関係性の喪失と人間の孤独について描いた作品。
舞台は1953年。戦後から10年も経っていない時代の話ゆえ、
家族の結びつきはもっと強いものかと思い込んでいたけれど、
『東京物語』で描かれた家族は、時に残酷なまでに他人行儀で、自己中心的。
あくまで自分の生活が中心であり、それが原則となっている。
だがそこに悪意はない。
その冷淡な描写は、それが家族なのだという意図が見え隠れしている。
この映画が撮られてから、60年が経った今、
高齢化、核家族や共働きが進み、家族の有り様は大きく変わり、
その関係性はより希薄になった。
親戚・家族・兄弟という共同体の意味はどこにあるのか、
ふと考えてしまう。
京子「でも,ずいぶん勝手よ。言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまうんですもの。」
(中略)
節子「だけどね京子さん,私もあなたくらいの時にはそう思っていたのよ。」
でも子どもって大きくなると,だんだん親から離れていくものじゃないかしら。
お姉様ぐらいになると,もうお父様やお母様とは別の
お姉様だけの生活ってものがあるのよ。
お姉様だって,決して悪気であんなことなさったんじゃないと思うの。
だれだってみんな,自分の生活が一番大事になってくるのよ」
京子「そうかしら・・・。でも私そんな風になりたくない。
それじゃ親子なんてずいぶんつまらない」
節子「そうねえ・・・。
節子「そうねえ・・・。
でもみんなそうなっていくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」
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