2012年1月29日日曜日

マラソンについて。



君を成長させる言葉/Booksdoor


このブログの記事を読んでいて、
最近、マラソンについて考えていた思考の断片が、少し整理できた気がした。
上記の記事自体は、自己啓発本のサマリー集となっているが
自己を啓発するフローと、マラソンという競技に、
いくつかの共通項を感じたので、
著名な経営者の言葉と共に、僕がマラソンを通して感じたことを記録しておく。




僕は昨年から、マラソンに凝りはじめた。
7月から練習を始め、その年の間に3回の大会を体験した。
1回目の大会はハーフ(21キロ)、2回目は27キロ、と距離を伸ばし、
最後は12月にホノルルで42.195キロを完走した。


できないことができるようになることが「成長」 
私は、働く環境がとても大事だとおもっているんです。 自分の能力以上を求められる環境でなければ、 人の成長は難しいんです。 
柳井正(『プロ論』)


前述の通り、初めての大会はハーフ。

練習でも、10キロまでは何度か走っていたこともあって、
本番も同じ10キロまでは、案外楽しみながら走れた。
しかし、未知の領域である、10キロを超えてから徐々に辛くなっていった。

次に27キロを走ったときも同じ状況となった。
前回体験した21キロまでは、依然の苦しみが嘘のように、
意外と余裕で走れていたのだけれど、
やはり、未踏の21 キロを超えたあたりから、急に足が重くなり、
最後は歯を食いしばりながら27キロを走りきった。
   
そして、フルマラソンを走った時も同様だった。
周りの雰囲気も手伝って、27キロよりはやや長い30キロあたりまでは、
なんとかペースを守りながら、走り続けられたけれど、 
30キロを越えてからの1キロが異様に長く感じ、
残りの12キロは気持ちだけで走りきった。

3度のマラソン大会を通して、自分が体験したことがない経験に対しては、
身体的にも精神的にも、強い負荷が掛かることを、顕著に感じた。
その反面、たった一度でも、苦しみを伴って体験したことは、
次の同様のことを行った場合も、前回と同じ苦しみを感じづらくなっている。

言葉にしてしまうと、なんだか陳腐になってしまうけれど、
僕はマラソンを通して、経験の積み重ねが自分の限界を段階的に広げていくのを、実感した。 


目標なしではどこへも行くことができない 
月にいこうという目標があったから、アポロは月に行けた。飛行機を改良した結果、月に行けたわけではない。 
三木谷浩史『成功の法則92ヶ条』  


もし、マラソンという競技に、42.195キロという、明確なゴールが設定されていなくて、
「各々好きな距離を走っっていいよ」という、フリーダムなルールだったら、
きっと僕は、20キロくらいで脚を止め、一生42キロを走りきることはなかっただろう。


42.195キロという明確なゴールがあったから、
その距離を走りきるという体験を得ることができたんだと思う。




人は、常に自分の壁に当たり、それを越えていくとうフローを繰り返さなければ、

いまより先の場所にはいけない。
だからこそ、仮にそれが苦労を伴ったとしても、常に新しいことにチャレンジして、
自分の壁にぶつかる機会を作っていかなくてはならない。 

その際、自身を奮い立たせて、自分の壁を越えていくためには、
壁の先にゴールを設定しなければ、いつまでも壁は越えていけない。
もっと遠くに、もっと早く。
その目標が偉大であればあるほど、そこにたどり着いたときの自分は偉大になっているはず。




最後に


息を切らして、脚に疲労を溜め込んで、走り続ける。
「何のために今走っているんだろう」という自問の中で、
弱い自分に支配され、走ることを止め、鉛のような足を引きずるように歩く。
それでも、沿道からの応援の声に後押しされて、また走りだす。
すぐにでもこの苦しさから開放されたいと感じながらも、それでもゴールだけを見据えて駆け抜ける。
いくつかの限界を越え、ゴールラインを切ったときの感情は、言葉では表すことが難しい。




それでも敢えてその感情を言葉にするのであれば、
同伴者のランナーが呟いた言葉が、僕は一番近いと思う。


頑張れることって、幸せなことだなあ。

2012年1月22日日曜日

ペイパルマフィアと松下村塾について


昨年のアドテック東京のワークショップを共にした、参加者・運営者の方々との新年会。
普段は競合関係となることが多い各広告代理店の方々と、腹を割って話せる貴重な会だった。

似たような環境で、ある種近しい価値観を持ちながら、
(それは、この業界を良くしようという熱意や野心、広告が好きという価値観だったりする)
時間軸は平行線を辿り、普段交わることがない人たちと、語りあい、
改めて感じたのが、自己を啓発させるために必要な刺激だった。



帰り道のタクシーの中。
ぼくは金八先生の中に出てくる「腐ったミカン」の逸話を思い出していた。

段ボールの中で腐ったミカンが1つでもあると、その周りのミカンも腐ってしまうという話を例に、
素行の悪い生徒が居た場合、そのクラスにはだんだん素行の悪い生徒が増えるという意見を、
金八先生は、次のような台詞で一蹴する。

「生徒はミカンじゃない、人間だ!」と。


金八先生の意見は、確かに全うなのだけれど、
それでもやっぱり人間は、関係性や環境によって影響を与え合うという意味では、ミカンと同じなんだと思う。

腐ったミカンの例はネガティブな側面で語られているけど、
ポジティブな影響という意味でも、同じで。

信念や矜持、時として野心を伴い、互いに切磋琢磨しあえる同士が近くに居るか居ないかは、
人の成長に大きな影響を与える。



少し話は変わるけど、
最近呼んだCOURIER JAPONの特集に、「ペイパルマフィア」という言葉があった。
曰く、PayPalという企業は、非常に多くの起業家を排出しているという。

僕の知っているサービスだけを抜き出しても、以下の通りで、Paypal出身の起業家はともて多い。

マックス• レフチン(スライド創始者)PayPal共同創始者
ピーター•ティール(クラリウム•キャピタル)会長)PayPal共同創始者
スティーブ•チェン(YouTube共同創始者)PayPalの元エンジニア
リード•ホフマン(リンクトイン共有創始者)PayPal元上級副社長
ジェレミー•ストップルマン(yelp共同創始者)PayPal元上級副社長

その記事では「社内風土」を切り口に、
なぜペイパルは優れた起業家を多く排出できたのかを論じていた。


PayPalの例のように、特定の企業が優れた人物を多く排出できる理由は、
記事にあった「社内風土」という側面を含めて、以下の3つがあると思っている。

(1)COURIER JAPONの記事にあったように、社内風土が優れた人を作り上げる。
(2)優れた企業には、優れた人材が集まる(育てるわけではなく自然と集まる)
(3)優れた人材の中で、優れた人材は育つ(人間関係が人を作り上げる)

(3)は、(1)に近しい概念だけど、企業が持っている、文化や仕組みではなく、
優良な人間関係の中で、優れた人が育つという意味としてあげている。


幕末、明治維新にかけて活躍した人物を多数育てた松下村塾も似たようなものかも知れない。
たった2年という時間、わずか50名という塾生の中から、
高杉晋作、山県有朋、品川弥二郎、伊藤博文など、
明治の礎を作り上げた高名な人物を局地的に排出できたのは、PayPalと同じ要因があったんだだと思う。



金八先生から、ペイパル、松下村塾にまで、話は飛んだけど、
結局何が言いたいかと言うと、
志を高くもった同年代のプレイヤーや、濃い経験を積み上げてきた先人たちの話を聞くことが出来た、
金曜日の新年会は、とても有意義であったよ、ということ。

そして、そんな機会をもっと創り出していく責任があるよという話。

2012年1月20日金曜日

【広告コピー】大分むぎ焼酎二階堂(ver.2)











----------------------------

2006年「未知の力」編

逆らいながら
奪われて…

流されながら
見失う。

誰もがその戸惑いの中から学ぶのだ。

ああ、本当の私に
帰っていきます。

----------------------------

2007年「文字のかけら」編

イエスとノー。
その二つの間には、
何もないのだろうか。

筆を走らせたのは、
宙ぶらりんの
想いでした。

想いのかけらは
朽ちることなく、
ざわざわと
心を揺らします。

----------------------------

2010年「空に憧れた日々」編

今でも、
空に憧れた日々を思い出す。
教科書も
地図も
とうに失ってしまった。

僕の一日が、
僕の一生が、
からっぽでありませんように。

----------------------------

引用:大分むぎ焼酎 二階堂


これらの、「二階堂」のコピーは、
ちょっと手帳の隅にでもメモしておいて
何度も味わいたくなる、深みがあるよ。

それが人生なのよ、と静かに語りかけてくるような。
薀蓄とか金言のような、かたくるしいものじゃなくて、
風のささやきや水のせせらぎのような、そんな静かな言葉だね。


もっともっと戸惑って、
そこから無理やり出した一歩を、学びに変えていこう。
戸惑いは、新しい自分に出会う直前に存在しているドア。


イエスとノーの間にある、
割り切れない感情を大切に抱えて、前にすすんでいこう。
白でも黒でもない、そんな想いの中にこそ、本当の自分が居る。


教科書も、地図もない、まっさな人生を
たくさんの、にぎやかな、経験で埋めていきこう。
誰とも違う、カラフルな人生を、1日単位で描いていくよ。

2012年1月19日木曜日

【広告コピー】大分むぎ焼酎二階堂(ver.1)

やじろべえのゆめ

両手にいつも持っているこの重しさえ
なければ「どんなに楽になれるだろうか」
「どんな自由が待っているのだろうか」
やじろべえは、そんな思いを
日に日に募らせるようになっていた。

そして、ある晴れた日に、彼は決心したのだ。
鳥のように自由に飛びまわることを夢見て
その両手に持った重しをついに放すことにした。
「うわぁ~、なんだこの軽さ」と、感激した瞬間、
彼は、バタンと倒れ込んでしまった。

どんなに頑張っても、あがいても
もう立つことはできなかった。
そのとき彼は、ふと気付いたのだ。
「あの重しがあったからこそ、地面に
きちんと脚をつけていられたんだ」と・・・・・。


背負いながら、楽しみながら、今日も一杯


引用 大分むぎ焼酎二階堂(松岡貴之/大広九州)



背負うもの、抱えるものが
ひとつ、またひとつ増えていって、地に付く脚が太くなる。

大黒柱とかって、まさにそんなイメージ。

けど別に、家族という分かり易いモチーフだけじゃなくて、
背負い込むものによって、しっかりと固まっていくものってあるよね。

ふらふらと、あっちこちらに振れつつも、
しっかりと軸足を付けて、きちんと芯に戻ってこれる強さって、
背負っているものの重さによる、ね、そんなメタファー。

2012年1月14日土曜日

【読書】アルケミスト―夢を旅した少年

同じ本を二回読むことって、あんまり無いのだけれど、
この本は、学生時代にも1度読んでいて、今回は2回目。


なぜだか不意に読みたくなって、
思わずページをめくったよ。


『アルケミスト―夢を旅した少年』 /パウロ コエーリョ





今回読んで感じ取ったのは、自分の心との対話の大事さ。


心がわき立っているのはなぜか。
心がかすかに怒りを覚えているのはなぜか。
心が重く、息苦しいさを覚えてるのはなぜか、

心が感じていることを、頭で思考し、行動に転化する。