2012年12月30日日曜日

Thanks 2012!

2012年もいよいよ、残すところあと2日。

2012年を振り返ってみて、、、
とにかく楽しかった.(o´∀`o)

さしずめ、小学生の読書感想文のような表現だけれど、
仕事も楽しかったし、プライベートも充実していた。
もちろん大変なこともあったし、ダークサイドが垣間見えた瞬間もあるけれど(笑)
楽しいことが多くて、バランスシートはプラスに大きく傾いている。


マラソン
小さい時には、大っ嫌いだったマラソンなのに、
今年だけで、合計6個の大会に参加している自分に驚く。
「マラソンは単なるカロリーの浪費で、拷問の一種だ」 と罵っていたはもはや過去のこと…。

Mr.children
デビュー20周年の今年。
1年に3回もミスチルのLiveにいける年なんて、
これからの人生でもうないかも知れない。

ミスチルのLiveは、最高の幸福感と前向きな気持ちをくれる、僕の人生のガソリンです。

旅行
今年は、社員旅行が2回あったことも合わさって、
大学生のようなペースで旅行した。
美ら海水族館(沖縄)旭川動物園(北海道)大地の芸術祭(新潟)地中美術館(香川)
北から南まで、動物園、水族館、美術館を回った1年だった。



OVERVIEW 2012
3月
 (マラソン) 大島マラソン(42.195Km)
 (マラソン) サイパンマラソン(21.0975Km
  年代別6位入賞 !(実力ではなく、参加者少なかったため(笑)
4月
 (仕事) ベストマネージャ賞 受賞
5月
 (マラソン) 軽井沢マラソン(21.0975Km
 (旅行) 沖縄(社員旅行)
  念願の美し海水族館!
 (Live) Mr.children TOUR POPSAURUS 2012
6月
 (仕事) 社内新規事業コンテスト 準優勝
7月
 (Live) ap bank fes'12
  Mr.children、Spitz、Salyu、最高でした。
08月
 (Live) ROCK IN JAPAN
  YUKI、マキシマム ザ ホルモン、PRINCESS PRINCESS、秦基博、最高でした。
 (旅行) 瀬戸内海(直島・豊島)
  念願の地中美術館&豊島美術館、最高でした。
09月
 (旅行) 大地の芸術祭(越後妻有)
 (旅行) 恒例の牧場ツアー(日光・宇都宮)
 (仕事) Yahoo! JAPAN インターネット クリエイティブアワード 2012ノミネート
  受賞ならず!
 (旅行) 八ケ岳
  念願の星のリゾート!
 (仕事) 販促会議企画コンペディション ゴールド受賞
10月
 (仕事) 転籍
  広告代理事業の営業マンから新規事業プロデューサーに職種変更
 (マラソン) 伊平屋ムーンライトマラソン(沖縄)(21.0975Km
11月
 (旅行) 北海道(社員旅行)
  念願の旭山動物園!
 (マラソン) 富士山マラソン(17Km)
12月
 (マラソン) ホノルルマラソン(42.195Km
  キラウエア!マウナケア!ラニカイ!ワイキキ!
  去年より1時間半もタイムが縮まった!
 (Live) ももいろクローバー  ももいろクリスマス2012
  昨年までは好きではなかったのに、、今年どっぷりハマってしまった。
 (Live) Mr.children (an imitation) blood orange] Tour
  今年の締めくくりに相応しい最高のライブ!


楽しいことが、本当に多かった1年だった。
ホノルルマラソンやMr.childrenのライブという大きなイベントが最終月の12月にあったのが、
2012年を魅力的に見せている要素もあるけれど、
それでも、総じて 「あー楽しかった!」 と思って年の瀬を迎えられるのは幸せです。

いまから年末最後のイベントとして、スノボに出かけてきます。
(最後の最後に怪我をしないように、気を付けないと)


2012年12月28日金曜日

販促会議2月号 『これがプロの企画書だ』

本日発売された販促会議2月号に
同僚と共同で書いた企画書を記事にしていただきました。

「これがプロの企画書!」だ!と題し、
架空のお客様に向けて書いた販促アイデアの企画書と、
その資料をどのようにプレゼンするのかを記事化したコンテンツです。

毎月読者として、楽しみにしていたコンテンツに、
自分の記事を載せていただくことができ、とてもに嬉しいです!




10月に部署が異動したこともあり、今回の執筆で約2カ月ぶりに企画書を作りました。

企画書を作る作業、(つまり、どうしたら現行の課題を解決し、より生活者に喜ばれる形で、
消費やサービスを届けることが出来るのかを考え抜く作業)は
非常に難儀で、そしてとても楽しいです。
(頭がねじ切れるくらい考え抜くことが、僕は好きみたいです)


2012年10月6日土曜日

『ヴァンパイア』&『鍵泥棒のメソッド』


大好きな監督の映画が、立て続けに公開されたので、
二作あわせて観てきました。


岩井俊二監督『ヴァンパイア』
@渋谷シネマライズ






















長編映画としては『花とアリス』以来8年ぶりにメガホンを取った、全編英語の吸血鬼映画。
カメラワーク、音楽、映し出される風景、そのすべて大好きな岩井俊二の世界。
でも、どうしても駄目なものがあった。それは採血シーン。
吸血鬼が主人公なだけあって、度重なる採血シーンがある。
採血が苦手な自分は、かるく気分が悪くなってしまい…。
結局、正直消化不良でした。


内田けんじ監督『鍵泥棒のメソッド』
@TOHOシネマズ六本木ヒルズ






















安定の内田けんじワールド!
堺さん、香川さん、広末さんという主演の3名が、とても良い味を出している。
たくさん笑えて、最後はちょっと幸せな気持ちになれる、すてきな映画でした。

2012年10月2日火曜日

販促会議コンペティション2012

会社の同僚と参加した、販促会議コンペティション2012で、
見事、「ゴールド」をいただくことが出来ました。

今となっては、おこがましい話ですが、目標は高く定めた方が良いと思っていたので、
当初は『グランプリ・ゴールド・シルバー、3賞総なめ』を狙っていました(苦笑)
結果としては、ゴールドのみ受賞。

それでも、箸にも棒にも・・・という状態ではなく、
きちんと評価してもらえる企画を一つでも作れたことは、少なからず自信になりました。
審査員の皆様、応援してくださった知人の皆さん、ありがとうございました。

以下がゴールドをいただいた企画書です。

「おもい割」


来年も同賞が継続しているのであればグランプリを目指してまた応募させてただこうと思っているので、
受賞するために必要がポイントを自分なりに整理しておきます。

(1)生活者が、本当に動くか自問し続ける。

・メッセージを伝えるだけではなく、行動を変えるアイデアになっているか。
・その企画には、生活者がうごく動機形成があるか。
・無理なく企画に参加できるほど、手軽でシンプルか。
・既存の習慣を壊す力があるか。

あくまでも販売促進を目的としているため、
人が動かなければ、どんなに新しく面白い仕掛けであっても意味がありません。


(2)コアアイデアを最良の形で伝える

審査員の方の講評にもありましたが、この公募が数を重ねていく毎に、
コアアイデアが被るケースが増えていくと思います。

従って、生み出したコアアイデアをどう表現するによって差がつくことが多くなります。
それは、企画書の技巧であり、メッセージの選び方でもあります。
また究極的には、生活者・審査員のインサイトへの洞察だと思います。

参考までに、下記の企画書は、一次審査すら通過出来なかった、落ちこぼれ作ですが
コアアイデアは、グランプリを取られた作品と少し似ていると思います。
ただ、グランプリを取られた「365チェキ!」の方がアイデアの活かし方も、その表現の方法もとても巧いです。

どうしたら人が動くのかを自問するだけでなく
どうしたらそのアイデアがより伝わるかも、合わせて思考することが重要だと今回学びました。
広告のフレームとしてはよくある「WHAT」と「HOW」の話なのですが、
どうしてもアイデア(=WHAT)に時間と労力をつぎ込んでしまいがちだったので自省の意味も込めて。



課題:インスタントカメラ『チェキ』の購買を喚起させる企画
●チェキブック

2012年9月10日月曜日

人はなぜ走るのか

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで、
気に入ったセンテンスをメモしておく。


走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に
有効なメタファーでもあった。
僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、
達成基準のバーを少しづつ高く上げ、それをクリアすることによって、
自分を高めていった。
少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた。
P25


同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、
しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年のほうが当然のことならがら
遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それが、ランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ
P123

マラソンを初めて、ちょうど1年くらいたった。
走るのは週1回程度で、まだまだ本格的に走っているとは言い難いけれど、
1年のうちにフルマラソンも2回経験した。

村上春樹が言うように、走ることは生きることのメタファーだ。


そしてまた、走ることはフィジカルを介した自己との対話だ。
僕はそんな風に考えている。

頭の中で「自分ってこういう人間だ」と解釈するよりも、
走っているときに見つける自分の方が、よりネイキッドに近い。

初めてフルマラソンを走った時。
30キロ前後で脚が悲鳴を上げた。もう走れない!
なんで今走っているんだろう。走るのを止めたい。弱い自分が情けなく叫ぶ。

走るのをやめて道端に横になりたい…そんな考えが頭をもたげると、
一方で強い自分が主張する。
ここで走ることを放棄したら挑戦している意味がない。最後まで力を振り絞るんだ。

後ろ向きな自分も、前向きな自分もどっちも自分。
当然僕は、前向きな自分にベットした。

限界を超えたところで出会える「弱い自分」と「強い自分」
それもマラソンの醍醐味の一つだ。

2012年8月28日火曜日

Restart

最後の更新から、また時間が空いてしまった。
何事も続けていくことは難しい。
積み上げていくことで生まれる意味があることを、知ってはいるのに。


村上春樹 『風の歌を聞け』の中に次のような一節がある。

 「文章を書くという作業は、
 とりもなおさず自分と自分をとり まく事物との距離を確認することである。
 必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」


世界との距離を図ることは、相対的に自分を知ることと同義だ。

これから、自分と向き合っていくにあたり、
やっぱり漠とした想いや思考に、具体的な形を与えて、記録していくことは意味があると思う。
そして、幸いなことに、今は綴りたい言葉がある。

こうしてまたブログを書き始める。

2012年6月2日土曜日

代々木公園

日に日に深まる緑と、
ふわりと頬を撫でていく心地よい春の風に、
この季節の全てが詰まっているよな。

談笑しながら、ベビーカーを推す若い夫婦。
何かを追い掛け回す、茶色い犬。
木漏れ日の中、ビールを傾ける外国人の集団。
5つのボールを宙で操る、少年。
銀色に輝くギターを奏でる、齢を重ねた男性と、それを優しく見つめる女性。
噴水の近く、ベンチで寄りそう若いカップル。


新緑の代々木公園には、
世界に溢れる様々な幸せの形が、そこかしこにある。

その風景の中を自転車に乗って駆け抜ける。
目の前を漂っていたシャボン玉が、ぱつんと消えて、
その残像がなぜか目の裏にやきついた。

2012年5月18日金曜日

【映画】タイタニック

バルト9でタイタニック(3D)を観た。

平日深夜の新宿の劇場は、
予想以上にがらんとしており、僕を含めて5人程度の観客しか居なかった。

本作が公開された当時は、
ただの甘ったるいラブストーリーだと勘ぐっていて、
視聴機会を逸していたので、
実に、公開から14年が経って、初めて観ることになった。


描かれているのは、ケイトウィンスレット扮するローズから観た、
彼女の人生で最もドラマチックで、自身の人生の岐路となった、6日間の出来事。

人間の弱さと強さと驕りと尊厳、それら全てを乗せたタイタニック。
その巨大客船が見舞われた未曾有の事故の中で、
ジャックと出会いをきっかけにして、
自分と自分を取り巻まく環境を変え、力強く生きることを定めるローズ。

紛れも無い名作でした。

2012年5月12日土曜日

決意と実行の狭間

とあるブログに引用されていた言葉が、
最近よく思っていることとリンクしたので、引用しておく。

「五羽のカモメが防波堤にとまっている。そのうちの一羽が飛び立つことを決意した。
残っているのは何羽だい?」
「四羽です」
「そうじゃない。五羽だよ。飛び立とうと決意することと、実際に飛び立つことはまったく別物だからね」
「いいかね? 誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだよ。
そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。
残りのカモメとどこも違わない。
人間だって同じだよ。何かをしようと決意した人と、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。
しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
『希望をはこぶ人』 (アンディ・アンドルーズ 著/ダイヤモンド社) より
参照ブログ
「こうしたい」「こうしよう」と思うことは、誰にでも出来るのだけれど、
それを実行に移すことは、わりと難しい。
ただ残念ながら、実行を伴わない意志は、願望の延長でしかなく、
それ自体が価値を生み出すことは適わない。


きっかけやタイミングを見計らうことも、時には大切だけれど
殆どの場合、意志を実行に変えるときに必要なのは、
極現実的な力強さだ。


「意志という抽象の世界」から「実行という具体の世界」へ、
その境を越えた瞬間に、はじめて「0」が「1」になる。

2012年4月15日日曜日

Best Manager賞をいただきました。


上期 Best Manager賞をいただきました。

正直、自分が選ばれるとは思ってもみなかったので、
実感値を伴わないまま壇上に上がってしまったのですが、
1日空けて、その重さが徐々に身に染みてきました。

改めて上期を振り返ってみると、
今までの営業人生の中で、最も環境が変わった時期だったと感じています。

主用顧客・主要メンバーが変わったことで、自身の役割が変わり、
うまくいかないことの連続の中で、
虚勢を自信に変えて前に進むけれど、
理想からは程遠い自分に嫌気が差すこともありました。
それでも、ただ目の前にある問題をどう解決していくかということを考えて、
小さな成果を重ねていった時期でした。

2年前にBest Player賞をいただいたときと比べ、華々しい成果は少なく、
また今のレイヤーには自分よりも優れた人が沢山います。
そんな環境の中で、自分を選んで貰ったという事実は、
自分が思っているより、ずっと多くの人に支えられて、仕事をしているという実感に変わります。
その感覚は喜びと責任を伴います。

未熟な自分が、いま目指しているのは 「灯台」のような姿。
それは、自身が輝き続けることで道を示し、それが誰かの指針となるような存在。

まだ齢28。
大手企業に勤めていたら、管理職に付いているわけもなく、
だからこそ、胡坐をかかずに、常に自分の先を目指して走り続けてきました。
どんなときも1mmだって妥協はしてきていない。

その姿勢は変えずに、
これからは、この身に余る賞の重さも背負って走っていきます。

2012年4月8日日曜日

桜の季節
















春になりました。
1年間、待ち続けた桜の季節です。
それは、365日の中でぼくが一番好きな1週間。


この季節になると思い出す二つの詩があります。

年年歳歳花相似たり、 
歳歳年年人同じからず 
  劉希夷 『白頭を悲しむ翁おきなに代わりて』

自然は悠久で、桜は毎年変わらずに美しい姿を僕らに見せてくれるけれど、
それを見るぼくらは確実に歳を重ね、どこかが変わっていく。
その変化を楽しめるように、後悔のない1日を重ねていこう。


この杯を受けてくれ 
どうぞなみなみ注がしておくれ 
花に嵐のたとえもあるぞ 
さよならだけが人生だ 
  于 武陵 『勧酒』 井伏鱒二訳
人と人との出会いは有限なのに、
ついそれが永遠に続いていくような心持ちで日々を過ごしてしまう。
今の出会い、時間を大切にしないと。


それにしても、
今年の桜は例年にも増して美しい。

2012年3月14日水曜日

【広告コピー】四谷学院

電車だったか、駅だったかで見た、
四谷学院のコピーが胸に刺さったよ。

3月も中旬に差し掛かった今、てっきり受験は一段落したのかな、と思っていたけれど、
きっと来年に向けてエンジンを掛け始めた、新しい受験生に向けて、
受験への注目度が未だ高い今を狙い図って、出稿しているんだろう。



 












東大合格が証明するものは、頭の良さじゃない。努力できる才能だ。
  (四谷学院)


もちろん、東大合格が証明するものは、
頭の良さと、努力できる才能の両方ではあるんだろうけど、
今まさに努力している人たちを鼓舞し、彼らの同調を得るという意味では、
敢えて努力にフォーカスして、力強い応援メッセージに昇華した、いいコピーだと思う。

だから、予備校に通って努力しようよ(出来れば四谷学院で)
と、きちんとサービスにブリッジしているのも広告としては良く出来ている。


以下は、全くの主観だけれど、
きっと四谷学院って東大合格者をごろごろ輩出できる予備校じゃないんだと思う。

「なんで私が東大に!?」(四谷学院)

という広告コピーがまさにそれを表していて、
「東大はある程度、射程圏内です」という人よりも、
「めちゃくちゃ努力したら、もしかしたら、もしかするかも!?」
というの学力の受験生をターゲットにしている予備校なんじゃないかな。

そういう意味では、頭のよさを否定して、努力を肯定するというのは、
(言い方は適切ではないかも知れないけれど)
四谷学院がターゲットにしている層には刺さりそうなメッセージだよね。

2012年3月12日月曜日

うまくいかなかったり、
つかれきったり、
いらついたりするときに、
決まって思い出す言葉があるよ。


 とらわれない 
 かたよらない 
 こだわらない


出展は確か、仏教だったかな。
うろ覚えだけど、瑣末なことにこだわらず、広い心を持つことの重要さを
いつも思い出させてくれるよ。

心が穏やかでないきときは、
決まって、何かに期待したり、執着してる。
自分ではコントロールできないことが、多い世の中だよ。
当たり前だね、その殆どが自分以外で構成されているんだから。

心を広く、広くもっていって、
結局行きつくのは、やっぱり我だよ。

だから自分に出来ることをやる。それだけのことだよ。

2012年2月19日日曜日

「努力」と「正解」と「覚悟」について

ネットで拾った言葉から。

「努力というのは、眠らない事じゃない、
苦しいことじゃない。我慢する事じゃない。
全力を傾けること。」
    「アドタイ/正しい努力は、楽しい努力。」伊藤 春香(トレンダーズ・キレナビ編集長)

シンプルな心理がこの言葉にはこめられているよなあ。

きっと努力って、Physical面で捉えてしまうと表面的な理解に留まってしまう。
対して、Mental面で捉えると、その本質やもっと尊い何かが見えてくるなあって。


僕は、全力を傾けることが出来るっていうのは、
とても幸せなことだと常々思っているので、
言い換えれば、努力できる環境は幸せだと言えるね。
(前日に書いた岩田さんの言葉にも通じるなあ)


人生の選択は、「正解」より「覚悟」

仕事でもプライベートでも人生の岐路や大きな節目に立った時、
程度に違いはあれど、多くの人は他人の基準を聞きまわり、
決断、選択をするための「正解探し」をしてしまうものです。
しかし残念ながら、自分でもお気づきかと思いますが、
どこを探しても「正解」など見つからないでしょう。
結局、人生の選択においては、「正解」「不正解」とあらかじめ定められた答えがあるのではなく、「自分の下した決断や選択が結果的に正解だったと思える」という事後的に決まることがほとんどではないでしょうか。
人生の選択は、「正解」より「覚悟」
    モチベーションの伝道師 小笹芳央のブログ(リンクアンドモチベーション代表) 


ついつい、正解を探してしまうのが人のサガだけれど、
「正解なんてないのだから」と割り切った境地に立つことが重要だよね。

きっと、大きな岐路に立っている時点では、「正解」なんてまだ産まれてすらいない。
「正解」という概念は、そんな即時的なものではなく、
選び取った道を、歩みながら、生成されてくる何かなんだと思う。

だからこそ、自分を信じて、その道を歩き続けていくための
強い覚悟が必要なんだね。

2012年2月17日金曜日

【DVD】プロフェッショナル/岩田守弘

最近、家に帰ってから、過去放送されていた「プロフェッショナル仕事の流儀」のDVDをみることが多い。
30分番組なので、疲れて帰ってきても、
睡眠時間を圧迫せずに、楽しむことが出来る。

中でも、「バレーダンサー 岩田守弘さん」の回が凄くよかったので、
印象的だった言葉を、このブログに残しておく。








バレーダンサー 岩田守弘

岩田守弘(当時38歳/現在41歳)ロシア・ボリショイバレエ団の史上初の外国人第一ソリスト。
ボリショイバレエ入団直後は、能力が有りながら”外国人“という理由で、
まともな役が貰えなかった苦節を味わいながらも、
その卓越した技術が認められ、現在はボリショイバレエ団の中でも屈指の存在感を示している。
惜しまれながらも、今年の6月を最後に現役から退くことを表明。


「苦しければ苦しいほど良い。そうすると磨かれてくるんじゃないですか。」
「苦しければ苦しいほど良い。そうすると磨かれてくるんじゃないですか。外からも内からも。人間って、良い時が重なっている時って、結果が凄く出るけど、成長してないと思うんですね。悪い時に成長している。良い時ばかりだと心が遊んじゃうんですね。
役が貰えない時とか自分に辛い時は逆に凄いご褒美、宝物なんですね。そういうものを経てきて、ずっと続けてきている人が本当に人を感動させられる踊りをする人達だから・・・僕も、そこまでなれるかどうか分からないけれど、そういう風に生きたいと思うんですね。
    岩田守弘バレーダンサー「プロフェッショナル仕事の流儀」より


苦しければ苦しいほど良い、なんてなかなか言えない。
逆境の中、諦めずにひたすら自己と向き合い、努力を重ね、
結果を掴み取った彼だから、こんなにも強い言葉を、清々しく言えるんだろうな。


自分に負けそうなときは、この言葉と、彼の存在を思い出すことに決めた。

仮に現実が冷酷で厳しくても、目を背けない。
楽をする脇道に意味なんてなくって、
過去にも、他人にも目もくれず、
ただ前だけを見据え、自分が出来る範囲の最大限の力を出して、時を重ねていく。

まだその先にあるものを信じられる。

2012年2月8日水曜日

【読了】ソーシャルデザイン/グリーンズ編


社会が抱える幅広い問題を、画期的なアイデアで、解決させる。
そんな素敵な事例に溢れた一冊。 
その中で、いくつか気に入った事例があったの紹介します。


Speed Camera Lottery

スウェーデンではじまった試み。
スピード違反をした人に罰金を払わせ、
制限速度を守って運転した人に宝くじがあたるという制度。
違反者の罰金を、宝くじの賞金に当てるというのがポイント。

社会の制度って、ペナルティが先行していて、
正しいことをした人にインセンティブがあるケースって実はあんまりないけど、
抑制だけじゃなくて、報酬を組み合わせたほうが、よい結果が生まれそう。



『自家発電型サッカーボール』

世界では16億人の人々が非電気化地域に住んでいると言われているらしい。
そんな途上国の深刻な問題を、「子供はどれだけ遊んでも遊び足りない!」という
無限(?)のエネルギーで解決しようとしている素敵なアイデアがある。

それは、自家発電型サッカーボール。
キックされたり転がったりして生まれる衝撃を電気に変換することができ、
およそ15分間蹴るだけで、小型LEDランプ3時間分の電力が充電されるという。

なんとも夢があって、良い仕組みだな。



そのほかの、いくつかの事例を目を通してみて、
課題を解決させるほどの優れたアイデアには共通して、
人々の「行動」を変えるだけの出来る力を持っていると感じた。

そして、この本が定義している、下記のソーシャルデザインという概念が示しているように、
行動を変えるためには、「アイデアの仕組化」が重要なんだな。


ソーシャルデザインとは、
社会的な課題の解決と同時に、新たな価値を創出する画期的な仕組みを作ること。


2012年2月6日月曜日

これからの○○

『ソーシャルデザイン ~社会を作るグッドアイデア集~』/グリーンズ編





この本の中でいいな、と思ったフレイムワークがある。

それは「これからの○○というもの。

ソーシャルデザインでは、マイナスをプラスにする発想が大切。そのためのマジックワードが、「これからの○○「これからの○○」というシンプルな問いかけの先には、既存の枠を取っ払った自由な可能性が開かれている。


「これからの満員電車

「これからの選挙活動


「これからの“喫茶店”」

「これからの広告代理店


シンプルなフレームに、既存の概念を嵌めていくと、
なんだか、Something newな雰囲気に誘われて、思考が広がっていく。

2012年2月1日水曜日

【読書】旅をする木/遠い北の大地を想う


よくある喩え話で、「無人島に、本を1冊持っていけるとしたらどの本にするか」
という問いがあるけれど、そんなことがもし現実的に起こったとしたら
悩みに悩んだ挙句に、ぼくはこの本を手に取ると思う。

星野道夫 『旅をする木』


アラスカの自然を撮り続けた写真家、星野道夫のエッセイ集。
解説を含めて241頁しかないとても薄い本だ。














久しぶりに読み返してみたけれど、
風景描写の美しさや、アラスカを舞台にした人々のドラマが、
何度読んでも、胸を打つ。


僕がこうして、新宿のオフィス街の片隅で、
深夜、パソコンに向かってキーボードを叩いている、この瞬間・・・、
アラスカの凍てついた大地を、カリブーの大群が行進し、
南東アラスカの海で、シロナガスクジラが潮を吹き上げ、
ルース氷河の上空には、オーロラが舞っているかも知れない。

同じ時間軸の中で、まったく異なる世界が存在していることの
なんとも言えない不思議さと、奥深さに、思いを馳せずにはいられない。

矢のように過ぎ去っていく時間に属しているからこそ、
人間が主役ではない世界の悠久の時の流れに意識を落してみることで、
バランスが取れるような気がする。



ドッグイアにまみれたページの中から、
僕が気に入っているセンテンスを抜き出して引用する。



無窮の彼方に流れゆく時を、
めぐる季節で確かに感じることができる。
自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。
1年に1度、名残惜しく過ぎてゆくものに、
この世で何度めぐり合えるのか。
 その回数をかぞえるほど、
人の一生の短さを知ることはないのかもしれません
(北国の秋より)

人間の気持ちとは可笑しいものですね。
どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、
風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。
人の心は、深くて、そしてふしぎなほど浅いのだと思います。
きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。
(新しい旅より)


私たちが生きてゆくということは、
誰かを犠牲にして自分自身が生きのびるかという、
終わりのない日々の選択である。
生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。
(カリブーのスープより)

手が届きそうな天空の輝きは、
何万年、何億年前の光が、やっと今たどり着いたという。
無数の星々がそれぞれの光年を放つなら、夜空を見上げて星を仰ぐということは、
気の遠くなるような宇宙の歴史を一瞬にして眺めていること。
が、言葉では分かっていても、その意味を本当に理解することはできず、
私たちはただ何かにひれ伏すしかない。
(ルー
ス氷河より)

アラスカという大自然に何年も向き合った写真家だから持ち得たであろう、
自然に対する真摯な眼差しと洞察が素敵だ。

何時の日か、彼と同じ景色をみてみたい、そう強く思う。

2012年1月29日日曜日

マラソンについて。



君を成長させる言葉/Booksdoor


このブログの記事を読んでいて、
最近、マラソンについて考えていた思考の断片が、少し整理できた気がした。
上記の記事自体は、自己啓発本のサマリー集となっているが
自己を啓発するフローと、マラソンという競技に、
いくつかの共通項を感じたので、
著名な経営者の言葉と共に、僕がマラソンを通して感じたことを記録しておく。




僕は昨年から、マラソンに凝りはじめた。
7月から練習を始め、その年の間に3回の大会を体験した。
1回目の大会はハーフ(21キロ)、2回目は27キロ、と距離を伸ばし、
最後は12月にホノルルで42.195キロを完走した。


できないことができるようになることが「成長」 
私は、働く環境がとても大事だとおもっているんです。 自分の能力以上を求められる環境でなければ、 人の成長は難しいんです。 
柳井正(『プロ論』)


前述の通り、初めての大会はハーフ。

練習でも、10キロまでは何度か走っていたこともあって、
本番も同じ10キロまでは、案外楽しみながら走れた。
しかし、未知の領域である、10キロを超えてから徐々に辛くなっていった。

次に27キロを走ったときも同じ状況となった。
前回体験した21キロまでは、依然の苦しみが嘘のように、
意外と余裕で走れていたのだけれど、
やはり、未踏の21 キロを超えたあたりから、急に足が重くなり、
最後は歯を食いしばりながら27キロを走りきった。
   
そして、フルマラソンを走った時も同様だった。
周りの雰囲気も手伝って、27キロよりはやや長い30キロあたりまでは、
なんとかペースを守りながら、走り続けられたけれど、 
30キロを越えてからの1キロが異様に長く感じ、
残りの12キロは気持ちだけで走りきった。

3度のマラソン大会を通して、自分が体験したことがない経験に対しては、
身体的にも精神的にも、強い負荷が掛かることを、顕著に感じた。
その反面、たった一度でも、苦しみを伴って体験したことは、
次の同様のことを行った場合も、前回と同じ苦しみを感じづらくなっている。

言葉にしてしまうと、なんだか陳腐になってしまうけれど、
僕はマラソンを通して、経験の積み重ねが自分の限界を段階的に広げていくのを、実感した。 


目標なしではどこへも行くことができない 
月にいこうという目標があったから、アポロは月に行けた。飛行機を改良した結果、月に行けたわけではない。 
三木谷浩史『成功の法則92ヶ条』  


もし、マラソンという競技に、42.195キロという、明確なゴールが設定されていなくて、
「各々好きな距離を走っっていいよ」という、フリーダムなルールだったら、
きっと僕は、20キロくらいで脚を止め、一生42キロを走りきることはなかっただろう。


42.195キロという明確なゴールがあったから、
その距離を走りきるという体験を得ることができたんだと思う。




人は、常に自分の壁に当たり、それを越えていくとうフローを繰り返さなければ、

いまより先の場所にはいけない。
だからこそ、仮にそれが苦労を伴ったとしても、常に新しいことにチャレンジして、
自分の壁にぶつかる機会を作っていかなくてはならない。 

その際、自身を奮い立たせて、自分の壁を越えていくためには、
壁の先にゴールを設定しなければ、いつまでも壁は越えていけない。
もっと遠くに、もっと早く。
その目標が偉大であればあるほど、そこにたどり着いたときの自分は偉大になっているはず。




最後に


息を切らして、脚に疲労を溜め込んで、走り続ける。
「何のために今走っているんだろう」という自問の中で、
弱い自分に支配され、走ることを止め、鉛のような足を引きずるように歩く。
それでも、沿道からの応援の声に後押しされて、また走りだす。
すぐにでもこの苦しさから開放されたいと感じながらも、それでもゴールだけを見据えて駆け抜ける。
いくつかの限界を越え、ゴールラインを切ったときの感情は、言葉では表すことが難しい。




それでも敢えてその感情を言葉にするのであれば、
同伴者のランナーが呟いた言葉が、僕は一番近いと思う。


頑張れることって、幸せなことだなあ。

2012年1月22日日曜日

ペイパルマフィアと松下村塾について


昨年のアドテック東京のワークショップを共にした、参加者・運営者の方々との新年会。
普段は競合関係となることが多い各広告代理店の方々と、腹を割って話せる貴重な会だった。

似たような環境で、ある種近しい価値観を持ちながら、
(それは、この業界を良くしようという熱意や野心、広告が好きという価値観だったりする)
時間軸は平行線を辿り、普段交わることがない人たちと、語りあい、
改めて感じたのが、自己を啓発させるために必要な刺激だった。



帰り道のタクシーの中。
ぼくは金八先生の中に出てくる「腐ったミカン」の逸話を思い出していた。

段ボールの中で腐ったミカンが1つでもあると、その周りのミカンも腐ってしまうという話を例に、
素行の悪い生徒が居た場合、そのクラスにはだんだん素行の悪い生徒が増えるという意見を、
金八先生は、次のような台詞で一蹴する。

「生徒はミカンじゃない、人間だ!」と。


金八先生の意見は、確かに全うなのだけれど、
それでもやっぱり人間は、関係性や環境によって影響を与え合うという意味では、ミカンと同じなんだと思う。

腐ったミカンの例はネガティブな側面で語られているけど、
ポジティブな影響という意味でも、同じで。

信念や矜持、時として野心を伴い、互いに切磋琢磨しあえる同士が近くに居るか居ないかは、
人の成長に大きな影響を与える。



少し話は変わるけど、
最近呼んだCOURIER JAPONの特集に、「ペイパルマフィア」という言葉があった。
曰く、PayPalという企業は、非常に多くの起業家を排出しているという。

僕の知っているサービスだけを抜き出しても、以下の通りで、Paypal出身の起業家はともて多い。

マックス• レフチン(スライド創始者)PayPal共同創始者
ピーター•ティール(クラリウム•キャピタル)会長)PayPal共同創始者
スティーブ•チェン(YouTube共同創始者)PayPalの元エンジニア
リード•ホフマン(リンクトイン共有創始者)PayPal元上級副社長
ジェレミー•ストップルマン(yelp共同創始者)PayPal元上級副社長

その記事では「社内風土」を切り口に、
なぜペイパルは優れた起業家を多く排出できたのかを論じていた。


PayPalの例のように、特定の企業が優れた人物を多く排出できる理由は、
記事にあった「社内風土」という側面を含めて、以下の3つがあると思っている。

(1)COURIER JAPONの記事にあったように、社内風土が優れた人を作り上げる。
(2)優れた企業には、優れた人材が集まる(育てるわけではなく自然と集まる)
(3)優れた人材の中で、優れた人材は育つ(人間関係が人を作り上げる)

(3)は、(1)に近しい概念だけど、企業が持っている、文化や仕組みではなく、
優良な人間関係の中で、優れた人が育つという意味としてあげている。


幕末、明治維新にかけて活躍した人物を多数育てた松下村塾も似たようなものかも知れない。
たった2年という時間、わずか50名という塾生の中から、
高杉晋作、山県有朋、品川弥二郎、伊藤博文など、
明治の礎を作り上げた高名な人物を局地的に排出できたのは、PayPalと同じ要因があったんだだと思う。



金八先生から、ペイパル、松下村塾にまで、話は飛んだけど、
結局何が言いたいかと言うと、
志を高くもった同年代のプレイヤーや、濃い経験を積み上げてきた先人たちの話を聞くことが出来た、
金曜日の新年会は、とても有意義であったよ、ということ。

そして、そんな機会をもっと創り出していく責任があるよという話。

2012年1月20日金曜日

【広告コピー】大分むぎ焼酎二階堂(ver.2)











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2006年「未知の力」編

逆らいながら
奪われて…

流されながら
見失う。

誰もがその戸惑いの中から学ぶのだ。

ああ、本当の私に
帰っていきます。

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2007年「文字のかけら」編

イエスとノー。
その二つの間には、
何もないのだろうか。

筆を走らせたのは、
宙ぶらりんの
想いでした。

想いのかけらは
朽ちることなく、
ざわざわと
心を揺らします。

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2010年「空に憧れた日々」編

今でも、
空に憧れた日々を思い出す。
教科書も
地図も
とうに失ってしまった。

僕の一日が、
僕の一生が、
からっぽでありませんように。

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引用:大分むぎ焼酎 二階堂


これらの、「二階堂」のコピーは、
ちょっと手帳の隅にでもメモしておいて
何度も味わいたくなる、深みがあるよ。

それが人生なのよ、と静かに語りかけてくるような。
薀蓄とか金言のような、かたくるしいものじゃなくて、
風のささやきや水のせせらぎのような、そんな静かな言葉だね。


もっともっと戸惑って、
そこから無理やり出した一歩を、学びに変えていこう。
戸惑いは、新しい自分に出会う直前に存在しているドア。


イエスとノーの間にある、
割り切れない感情を大切に抱えて、前にすすんでいこう。
白でも黒でもない、そんな想いの中にこそ、本当の自分が居る。


教科書も、地図もない、まっさな人生を
たくさんの、にぎやかな、経験で埋めていきこう。
誰とも違う、カラフルな人生を、1日単位で描いていくよ。

2012年1月19日木曜日

【広告コピー】大分むぎ焼酎二階堂(ver.1)

やじろべえのゆめ

両手にいつも持っているこの重しさえ
なければ「どんなに楽になれるだろうか」
「どんな自由が待っているのだろうか」
やじろべえは、そんな思いを
日に日に募らせるようになっていた。

そして、ある晴れた日に、彼は決心したのだ。
鳥のように自由に飛びまわることを夢見て
その両手に持った重しをついに放すことにした。
「うわぁ~、なんだこの軽さ」と、感激した瞬間、
彼は、バタンと倒れ込んでしまった。

どんなに頑張っても、あがいても
もう立つことはできなかった。
そのとき彼は、ふと気付いたのだ。
「あの重しがあったからこそ、地面に
きちんと脚をつけていられたんだ」と・・・・・。


背負いながら、楽しみながら、今日も一杯


引用 大分むぎ焼酎二階堂(松岡貴之/大広九州)



背負うもの、抱えるものが
ひとつ、またひとつ増えていって、地に付く脚が太くなる。

大黒柱とかって、まさにそんなイメージ。

けど別に、家族という分かり易いモチーフだけじゃなくて、
背負い込むものによって、しっかりと固まっていくものってあるよね。

ふらふらと、あっちこちらに振れつつも、
しっかりと軸足を付けて、きちんと芯に戻ってこれる強さって、
背負っているものの重さによる、ね、そんなメタファー。

2012年1月14日土曜日

【読書】アルケミスト―夢を旅した少年

同じ本を二回読むことって、あんまり無いのだけれど、
この本は、学生時代にも1度読んでいて、今回は2回目。


なぜだか不意に読みたくなって、
思わずページをめくったよ。


『アルケミスト―夢を旅した少年』 /パウロ コエーリョ





今回読んで感じ取ったのは、自分の心との対話の大事さ。


心がわき立っているのはなぜか。
心がかすかに怒りを覚えているのはなぜか。
心が重く、息苦しいさを覚えてるのはなぜか、

心が感じていることを、頭で思考し、行動に転化する。